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今日はどんな本音を語ろう

オピニオン記事やライフハックを中心に様々な記事かいてます。

Today’s Real intention

Opinion and Lifehack

【残業130時間】ブラック企業勤めの営業マンは会社を辞めたことで世界が変わった

表現者

日本の長時間労働ブラック企業についてはずっと議論され続けている問題です。

ぼくも「1日15時間労働を30日間連続。」などやったことありましたが、まぁー身体的にも精神的にもにガタがきますよ。

ぼくの場合は、好きな仕事で自発的に残業してたのでまだよかったですけど、これが「やりたくもない仕事」だったら一瞬でフェードアウトしていたとおもいます。

 

「自分の会社もしかしてブラック企業?」とおもった時点で、あなたはやりたくもない仕事をしていて、我慢して残業してるんですよ。

そのような仕事を続けていると休日を寝てばかりで過ごしてしまい、何のための人生か分からなくなってしまいます。

長時間労働しているとプライベートの時間が極端に少ないので視野が狭くなりがちですが、いざ外を見ると世界はもっと広いんですよ。

 

ぼくの知人でも長時間労働が要因でたくさんの人が仕事を辞めています。

今日紹介したい佐藤光輝さんもその中の一人です。

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 月残業130時間のブラック企業に勤めていた

佐藤さんは、福島県南相馬市在住で、現在父親が経営する内装業に勤めています。

前職は、神奈川県でカーテン会社の営業マンをやっていました。

どうして佐藤さんがカーテンの営業をやろうとおもったのかというと、小さい頃から父親の会社によくカーテンの営業さんが来ていたのを見ていて、「どんな仕事なんだろう?」と好奇心が湧いたからです。

 

そんな興味本位で就職したカーテン会社が完全なブラック企業だったのです。

17時半が定時にも関わらず、毎日終電手前の24時まで働く残業続きの日々。

計算すると、月の残業が130時間にも及びました。

 

時には終電さえも逃し、会社に泊まったこともあったそうです。

しかも、会社に布団がなかったので遮光カーテンを布団代わりにして寝たという。。。

 

ぼくは佐藤さんの職業がカーテンの営業と聞いて「そんなにやることがたくさんあるのか?」とおもったのですが、

カーテンレール等を取り付ける場合、職人さんへの図面を作成したり、カーテンの発注データを入力したりなどとにかく事務作業が多く、毎日山のような仕事に追われていたそうです。

 

うーん、キツすぎる。。。

 

自社のカーテンを売りたくなかった。クレームが多くてお客さんと職人の板挟み

佐藤さんにとって仕事が苦しかったのは長時間労働だけが問題ではありません。

自社の製品をどうしても好きになれなかったのです。

佐藤さんの勤めていた会社は、オーダーカーテンが売りでした。

一つ一つ、お客さんの要望に沿って世界に一つのオリジナルカーテンを作るんです。

 

オリジナルと聞くと響きはいいですが、値段がとにかく高かった。

標準の仕上がり縫製価格で見れば、薄手、厚手のカーテン合わせ、窓1箇所につき最低でも5万、海外製の生地を使ったものでみれば10万オーバーはするそうです。

 カーテンで10万円ってどんだけ高いんですか!これだったらニトリで買っちゃいますよね。

 

しかもこのカーテン、これだけ高級にも関わらず縫製ミスが頻繁にあってクレームの数が半端じゃなかったそうです。休日にも苦情の電話が鳴り響いていたという。

かわいそすぎる。。。

 

このミスはカーテンを作った工場側に落ち度があります。

しかし、謝罪するのは佐藤さんのような営業マンです。

佐藤さんがたまらず工場側にクレームについて抗議の電話をしても「そんなの知らねーよ。こっちは忙しいんだよ。」で終わりでした。

そして、常にお客さんと工場側の理不尽な板挟みにあっていた佐藤さんの精神はどんどん磨り減っていきました。

  • 月130時間残業の長時間労働
  • 好きでもない商品を営業しないといけない
  • その商品のクレームの頻度が高すぎる。

とっくに会社を辞めるような要因が揃っているように見えますが、忙しくすぎる佐藤さんにそれを考えるほどの精神的な余裕がなかったのです。

 

会社を辞めるキッカケは東日本大震災、そして、家族の死

しかし、そんな仕事に消耗している佐藤さんに転機が訪れます。

2011年3月11日の東日本大震災で故郷である福島県南相馬市が被災したのです。

幸いご家族は無事でした。

 

ですが、実家は自営業です。

被災したとはいえ、仕事をすぐに始めないといけない。

佐藤さんは家族が大変な状況にも関わらず、自分が遠くにいて何も力になってやれないことにもどかしさを感じていました。

 

不幸は続きます。大震災の年の7月最愛の母が突然亡くなったのです。

そして、翌年には小さい頃から一緒にずっと暮らしてきた祖母も亡くなりました。

 

大震災で実家が被災した上に、今まで生きていて当然だとおもっていた家族が二人も立て続けにいなくなってしまった。

佐藤さんはこの死の連続を体験して、「自分もいつ死ぬか分からない」ことを思い知らされたのです。

 

そして、彼は決心します。

「今の嫌な仕事を辞めて、故郷の福島に戻り実家の仕事を手伝おう」と。

 

会社を辞めたことで、プライベートの世界が劇的に変わった

佐藤さんは福島県に戻って来て変わりました。

今までは仕事の休日は寝て過ごすような日々でした。

 

実家の仕事は週6日。前職よりも休みは少ないです。

ですが、「人間いつ死ぬか分からない」と悟った佐藤さんはこの週1の休みを充実させることに集中したのです。

終業後、国際交流イベントに参加するために片道約80キロの仙台まで足を運んだり、日帰りで東京、2日間の休みがあれば関西や名古屋にも赴きました。熊本地震があった際、GWの休みをすべて熊本でのボランティア活動に費やすこともしました。

現在ではラジオ番組のパーソナリティも務めるなど、とてもアクティブに活動しています。

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また、大型連休や年末年始を利用して国内、海外にひとり旅に出かけ、世界中の人々と交流してつながりを作るようになりました。

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ブラック企業に勤めていた頃の佐藤さんは朝起きるのが本当に辛くて何を目標に頑張っているのかもわからない状態でした。

ですが、福島県に戻って来てからはそれが180度変わったのです。

 

行ったことのない場所にも軽やかに自分ひとりで向かい、現地の人々とのつながりをつくっていく。

どんどんやりたいことが思い浮かび、それを自らの行動力で叶え続けているのです。

会社を思い切って辞め、後悔がないようにアクティブに行動し続けたことで佐藤さんの世界は何十倍にも広がりました。

 

佐藤さんは、旅先の新しい人々との出会いが毎回楽しくてたまらないそうで、ブラック企業時代と違って充実した日々を過ごせています。

 

環境を変えることで人は変われる

佐藤さんの人生がこんなにも変わったのは、環境を変えたからに他なりません。

いくらプライベートを充実させようにも仕事ばかりに追われていては、時間も体力も残されていませんからね。 

 

会社を辞めるには相当な勇気がいります。

佐藤さんは、大震災や家族の死を目の当たりにして人の命の儚さを自覚し、空気を読まずに思い切って決断しました。

 

このブログを読んでるみなさんの中にも仕事で長時間労働をさせられていたり、理不尽な目にあったりして疑問を感じている方がきっといるはずです。

そんなみなさんも佐藤さんのように「会社を辞める」という選択を視野に入れていただきたいです。

仕事はたしかに大切ですが、自分が苦しむために仕事があるわけではありません。

そして、自分のプライベートの時間を全て投げ打ってまで仕事する必要はないのです。

 

ブラック企業を辞めてから自分のやりたいことをやり、人生を謳歌している佐藤さんのように一度限りの人生を後悔しない選択をしていきましょう。

 

佐藤さんは現在ブログを開設し、自身を「アクティブロガー」と名乗っています。

そして、仕事以外の時間に様々な場所に出かけ、そこで起きた面白い出来事や人をブログに綴っています。

また、国内、海外で訪れた場所の中で特におすすめできるスポットも発信しています。

ぜひ読んでみてくださいね!

佐藤光輝のActiBlog.

 

仕事だけに消耗せずに、アクティブに生きていきましょう。

 

わっしょい!