こんにちは、凡人のみやもです。
みなさんは「センス」という言葉を聴くとどう感じますか?
センスは身長のように生まれ持った「才能」だと思い込んでる人が多数いるのではないでしょうか。
よく巷で言われる言葉、
「◯◯さんはセンスがあるからできるんですよ、ぼくには無理です。」
ほとんどの人は「自分はセンスが無い」と思い込み、生まれ持った才能が無かったのだから仕方ないと自分の可能性を狭めています。
しかし、本当にそうでしょうか?
圧倒的な時間を注げばセンスは身につく
例えば、ぼくはよく「みやもさんはファッションセンスがあるよね。」と褒められます。
初対面の方には、ファッション界隈の人と間違われることも少なくありません。
それでは、ぼくがたまたまファッションの才能があったのか?
ぼくは自信を持って「NO!」と答えます。
思春期の頃は男女関係なくオシャレに目覚めるとおもいます。
異性をはじめ、周りの目をどんどん意識し始める時期ですからね。
ぼくもご多分に漏れず、オシャレに目覚めました。
ですが、そのハマり方がちょっと異常だったんです。
ぼくはとにかくオシャレになりたくて、自分の興味のあるファッション雑誌を片っ端から買い漁り、自宅でずっとファッション雑誌を読みふけっていたのです。
雑誌の隅から隅、人気の無いマイナーコーナーまでとにかく読み込みました。
そして、自分がオシャレと認めるカッコイイモデルさんを見つけてはすぐに彼らの真似をし、色んなスタイルを試していました。
思春期は金銭的な余裕がありません。特にぼくは部活が多忙でバイトもしていなかったので余計です。
ぼくは両親から貰える少ない小遣いと思春期という多感な時期の時間をファッションに費やしました。
そんな生活を5年くらいしていたので嫌でもファッションセンスが身に付いてきたんですよね。
自分がどんな服が似合って、どんな服を組み合わせるとオシャレに見えるのか、直感でイメージできます。
ファッションに圧倒的な時間を注いだのですから、当然と言えば当然です。
センスは努力!
つい最近、ツイッターにこんな言葉が流れてきました。
センスってどう磨くのか?それは沢山みて試すしか無い。プロダクトのセンスはいろんなプロダクトに触れて、ファッションのセンスもいろんなファッションを見て研究して、運動のセンスは色んなスポーツを試して練習して、ビジネスセンスは色んなビジネスモデルを研究して磨く。センスは努力。
— Hiro Maeda (前田ヒロ) (@djtokyo) 2016年7月14日
ぼくはこの言葉に強く共感しました。
そうです、ぼくもファッションセンスがあるとよく言われるけれど、単にみなさんよりも多くのファッションに触れて、たくさん研究しただけなんですよね。
もし、それをしていなかったらぼくはきっとファッションセンスなんて全然無かったとおもいます。
多くの人は「結果」だけを切り取って判断するので、デキる人はさも生まれもったセンスがあるように見えるのです。
デキる人は、人の見えない所でその分野に対して多くの実験をし、失敗しながらも、ずっと検証し続けたのです。
それで経験を重ね、身体にデータを溜め込むことで、センスがどんどん磨かれたのです。
センスは何百回、何千回と実験を繰り返した情熱の賜物です。
ですから、センスというのは「努力」なんです。
学年平凡レベルから東大に行った高野さん
良い事例を一つ紹介しましょう。
現役東大生ブロガーの高野さんという方がいます。
彼は、中学は普通の公立校出身です。学年順位も決して高い方ではなかったのです。
高野さんは進学校ではなく偏差値50程度の中高一貫校の出身だった。
中学の頃は、今時の子供らしくオンラインゲームに目覚めてそれにドップリ浸かり、特に成績が良い方でもなかったそうだ。
しかし、家庭的な話になるが、高野さんの両親の中がよろしくなかったそうで、「お母さんを安心させるためにも勉強をした方がいい」とお兄さんから勧められ、高野さんは勉強をするようになった。
それのおかげで学年20番目にはなったという。
とはいっても、進学校の学年20番ではなく普通中学の学年20番であるから、全国的に見ればそんなに勉強がスゴくできるというレベルではない。
引用元:現役東大生が50円で売ってたので買ってみた。彼の勉強に目覚めた理由が最高にロックだった! - 未来は変えられるの?
そんな高野さんですが当時、物凄く好きだった女性がいたそうです。
その好きな子に自分をアピールしたい(学年のまとめテストで1位になると名前が掲示板に貼り出される制度があったそうです)という一心で勉強をがんばり、本当に学年で1番を取ったのです。
そして、それがキッカケで高野さんは勉強に目覚め、勉強にハマりにハマり、そのまま東大に合格してしまったんです。
東大生は特別なセンスがあるように見えます。
しかし、ほとんどの東大生は人よりも圧倒的な時間をかけて、努力しているのです。
ほとんどの人は凡人。凡人は何かにどっぷりハマろう!
ぼくは、ほとんどの人が凡人だとおもっています。
人間に生まれ持ったセンスの差は余りないんです。
「あの人はセンスがある、自分には無い」と自分の可能性を狭めてしまっている人は、その思い込みを捨てましょう。
センスは、圧倒的な時間をかけて、多くの実験をし、検証し続けた努力から磨かれます。
センスは才能じゃない。センスは「経験」です。
全ての凡人のみなさんは「センスは才能である」という言い訳を止めて、何かにどっぷりハマりましょう。
もちろん、ぼくも凡人なのでこれからも自分の取り組んでいることにハマり続け、センスを磨こうとおもいます。
わっしょい!