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今日はどんな本音を語ろう

オピニオン記事やライフハックを中心に様々な記事かいてます。

Today’s Real intention

Opinion and Lifehack

仕事も恋愛も「察しろ」文化が無くなれば、人はもっと生きやすくなる

社会問題 オピニオン ライフハック

仕事でも、恋愛でもそうですがよく「察してよ」と言われませんか?

ぼくはそう言われることにとても疑問を感じています。

 

つい最近も、ぼくがご飯を家族で最後に食べ終わった時のことでした。

突然父に「ハヤトずっとおもってたんだけど箸たてを片付けろよ!察しろよ!」となぜかとても怒られました。

 

ぼくが実家に帰って4ヶ月以上経っています。

その間父は、ぼくが毎回ご飯を最後に食べ終わった時に箸たてを元の位置に戻してないのが気に食わなかったそうです。

ぼくの中では、箸たてはテーブルに定位置として置いておくモノだと判断していたのです。

 

ぼくは瞬時におもいました。

「なぜこんな長い期間ずっと我慢してたんだろう?今まで言えるタイミングなんていくらでもあったし、そんなに怒らなくてもいいじゃないか。」

 

人は相手との気持ちのすれ違いを我慢しがちです。

何でもない日常でもこんな風にして突然、家族の喧嘩が起きます。

しかし、こういった小さな我慢の積み重ねがおもわぬ問題を引き起こす引き金にもなりうるとぼくはおもっています。

 

あなたとぼくは違う

人はいくら家族といえども価値観が全く違います。

それは時代性であったり、興味関心、付き合っている人の違いであったりします。

「環境」の違いによって全く違う人間性が育まれるのです。

 

ぼくは普段から自分の興味があることには、繊細にアンテナを張っています。

しかし、自分が全く関心のないことにはとても鈍感です。

人というのはそんなモノだとおもいます。

 

ですから、お互いの察する能力には向いている点と向いてない点があるのは当たり前なのです。

よって、他人が察していないことに感情的になるのはおかしな話なのです。

「察しろ」と相手に求める人は、とても生きにくいでしょう。

 

我慢して待つ事自体が無駄

「察しろ!」と他人に求める人は普段から我慢しています。

気づいてくれるのを相手に何も言わずに待っているのです。

また、察してもらえてないことを静かにカウントしている面倒臭い人もいます。

 

ぼくは、我慢して待つ行為自体がエネルギーの無駄だとおもいます。

『何も言わずに相手が気づくまで「待つ」のが教育』という風によく思われがちですが、まずは教えることが必要です。

仏教には「守・破・離(しゅ・は・り」という育成の過程があります。

まずは師匠の教えたことを固く守る、そして、守ってきたモノを破ってみる、最終的には師匠から離れ自分のオリジナルを極めるというモノです。

 

まずは守の教えて守らせることをしないといけないのです。

察しろ!という人はその教えることを放棄しています。

相手が気付いてないことを分かっていながらずっと我慢し、溜まった鬱憤を晴らすために相手を怒るというのは筋違いではないでしょうか。

 

まずは相手に伝えよう。我慢はするな。

まずは相手に伝えましょう。

一度言っても守ってない場合もあるとおもいます。

そんな時はタイミングを見て再び伝えましょう。

我慢はしなくていいです。

相手に「どうしたら伝わるか?」を考えて、言い方を変えて工夫することが大切です。

 

察しろ文化が無くなれば人は生きやすくなる

この「察しろ文化」が無くなれば人はもっと生きやすくなると感じています。

興味関心は人によって全く違うんです。

自分が見落としてることなんて本当にたくさんあります。

 

それで毎回怒られるのがどれだけストレスなことか。

そして、「察してよ!」とおもいながら我慢し続ける人にも、恐ろしいほどのストレスが溜まってることでしょう。

仕事や恋愛、家族間でこの問題はとても多いです。

ぜひ我慢せずに相手に「こうしてほしいんだ」と具体的に常々伝えるようにしましょう。

 

ちなみに相手が不快になるように言っちゃダメですよ。「伝わる」ように言うんです。

 

ワッショイ!