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【仕事】何が起きても動じないようになるには、あえて鈍感になること。

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ぼくはとても敏感な人間です。

 

「こんなことやりたいと言ったら、どう思われるだろう?」

「こんなこと発言したら、周囲に嫌われるかもしれない。」

「人に迷惑をかけた時に罪悪感を感じる。」

 

そうやって世間の目をすごく気にしてきました。

今でも無意識的にそういう意識を持っているとおもいます。

 

 

しかし、また逆に敏感に反応するのを麻痺させる習性もつきました。

「自分のやりたいことだし、とりあえず伝えてみよう。」

「自分の心から発言したいことだから、それで嫌われても仕方ない」

「人に迷惑をかけた分、自分も人の迷惑を受け入れられる人間になろう」

そうおもえるようにもなったのです。

 

ぼくはあえて鈍感になるように振る舞うようにしたのです。

人に敏感なぼくのような人間でも、あえて鈍感に振る舞うことで、ちょっとのことでは動じなくなりました。

そして、そのお陰で生きやすくもなりました。

 

ぼくは、これをADN(あえて、鈍感に、なる)と勝手に名付けています。

 

産まれながらに鈍感な人もいるとおもいます。

ぼくはそんな人が羨ましいです。

ぼくの場合は、人の目を気にしまくる性が幼少期からついていたので、これを経験で身につけていきました。

 

それは、何度も自分でチャレンジし、失敗を積み重ねたことで培ったのです。

このチャレンジに規模の大小はありません。

日常的に些細なことから、お金も投資した比較的規模の大きいことから、おもわず顔を覆いたくなるほどの屈辱的な体験も含めて、様々なことに自分からチャレンジしてみて、それに失敗し、立ち直ったことで身についたのです。

 

その経験で学んだことは、「人に期待しないこと」です。

結局、最終的に人に期待しても救いがあるワケではありません。

ここぞという場面で誰かに何とかしてほしいとおもってはいけないことに気づけたのです。

 

「最終的には自分なんだ」

そうシックリとおもえたお陰で、他人から罵られても、人に嫌われても、人が離れても、そこまで動じないようになりました。

鈍感に他人の反応を受け入れるようになれたのです。

 

繰り返しますが、ぼくは根底から鈍感になれたのではありません。

今でも人の感情を敏感に察知します。

敏感に察知しないといけない場面もたくさんあるからです。

 

しかし、ここぞという時には、あえて鈍感になってでも突き進まないといけない時があるのです。

今のぼくのブログ活動はまさにそんな時期です。

人の顔色を伺って自分の行動を止めることは時間や労力の無駄であると判断しています。

 

あえて鈍感になることは、仕事をする上で重要なスキルです。

 

ワッショイ!