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今日はどんな本音を語ろう

オピニオン記事やライフハックを中心に様々な記事かいてます。

Today’s Real intention

Opinion and Lifehack

元少年A「絶歌」を読んでぼくが感じたこと。

オピニオン

はじめに申し上げますが、この本の具体的内容はかきません。

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みなさんの目で直接読んで判断して頂きたいのです。

あくまで、ぼくが感じたことをかくのみにします。

 

ぼくはこの本を読むかどうかはじめ悩みました。

そんな時に以下の記事を読んだのです。

shiomilp.hateblo.jp

 

僕は、書店員は、明日それに対して一つの態度を取らなければいけない。

「日本史上稀に見る猟奇殺人事件の犯人」がそのステータスを利用して、その遺族に無断で手記を出版する。もう既に話題になり、それなりの印税が彼に入るだろう。遺族は出版中止を求めて会見をしている。

それを私たちは店頭で援護するのか。極論を言えば、届いてすぐ返品することも可能ではある。少しだけ試されているような気持ちになる。難しく考え過ぎだと思われるかもしれないが、僕にとってはそれなりに覚悟がいる。

普段はどうしても忘れがちになるけど、書物を陳列することはとても思想的な行為だ。

 ぼくはこの文章を読んで、絶歌を読もうとおもいました。

勿論、ネットで購入するワケでなく書店で。

書店員さんが書店員さんの立場で思想を持って陳列するなら、ぼくはぼくの思想をもってこの本を読むことを選びました。

ちなみに、この本の発売日はちょうどぼくの29歳の誕生日でもありました。

その偶然もこの本と引き合わせるトリガーになったことは、一つの要因として否めません。

 

ぼくは上記の記事を読んで、すぐに書店に行き、購入し、自宅で一気に読破しました。

そして、読み終わってから今日まで頭を冷やして考えました。

そして、今からぼくが感じたことをかきます。

 

まず、この本の出版は被害者遺族に対して断りを得なかったことに大きく着目点が置かれます。

みなさんの立場で考えても、あの事件の大きさから遺族に断りを得ないなんて普通ではないし、大きな反響があることは容易に予想できるとおもいます。

それではどうしてあえてそうしたのか?

 

ぼくが実際にこの本を読んで、この本が被害者遺族に断りを得ず出版した理由を感じ取りました。

それは内容をぼかされることを元少年A本人が望んでないからだと思います。

 

もし、被害者遺族に断りを得ていたなら出版できた可能性はあれど、「最愛の祖母が亡くなってからの冒涜の儀式」の話はおそらくぼかされていたか、かかれなかったとおもいます。

元少年A自身が事件の核心に繋がる部分も包み隠さず社会に発信したかったのだとおもいます。

 

この本を読んで『ただのポエムだ』ということを言っておられる方もいます。

しかし、この本はポエムにならざるをえないのだとぼくはおもいます。

 

なぜなら、元少年Aは他人のために人を殺めてしまったのではなく、自分のために人を殺めてしまったからです。

他人のために人を殺めたのなら論理的に説明できるでしょう。

ただ、自分のためということは、既にその時点で論理を超え、「感情」のみで働いているのです。

 

これは限られた友人にしか話していませんが、ぼくは今年一度自殺を図ろうとしたことがあります。(このブログを読んでる知人のみなさん、アノ時の事実はそうなんです。余りに重い話になるので事実を事実のまま伝えれなくて本当に申し訳ありません。)

 

少年Aが他人を殺めてしまったのなら、ぼくは自分を殺めようとしたのです。

他人を殺めること、自分を殺めることを違うと見る方も多いでしょうが、本質では限りなく一緒だとぼくはおもっています。

 

それは「もう自分はこの社会で生きる必要もない。自分は生きていても意味がない存在だ」

このようなことを無意識的にも持っている点です。

そして、自分という存在を破壊するための衝動が他者に向かうのか、自分に向かうかの違いのみだと感じています。

 

ぼくは、幸いこうやって今生きて、文章をかいていますが、アノ時の自分の感情を論理的に理由づけして説明することはできません。

実際、感情で動いている為か記憶が消えている部分もあります。

 

ぼくが生きて、はじめにしたことはSNS(社会)への謝罪でした。

本当にたくさんの人に心配と迷惑をかけてしまって、それに対して謝り倒したのです。

 

アノ謝罪をしているのとしていないのでは、ぼくの人生は今と全く違ったモノになっていたとおもいます。

謝罪してなければ、このようにブログをかいていることもなかったです。

きっと人と向き合おうとせず、人と接しないように隠れて生きたことでしょう。

 

元少年Aは、ぼくが想像もできないほどの多くの人の心を脅かしました。悲しませました。

しかし、彼は社会に生かされてしまったのです。

正直、死刑になった方がどれだけ楽かとぼくは想像します。

 

それを一人でずっと抱えて、社会に謝罪できずにいるのは生きることとして余りに苦しく、彼の生かされた価値をも奪う行為です。

自分の想いの丈を話せずにいることは本当に本当に苦しいし、前に進めないことなんです。

時間だけは過ぎても、自分が止まっているようにしか感じれないのです。

 

今回の彼の本の出版は、自分の想いの丈を綿密に文章に納得行くように記して、社会に謝罪し、彼自身が前に進むために行ったのだとおもいます。

繰り返しますが、被害者遺族に断りを得なかったのはその「綿密な文章の純度」を損なわない為だとおもいます。

 

ぼくは常々感じますが、生かされても社会に役立てないのでは、生きてる意味を感じないのです。

生きていても、自分ができることで社会に役立てなければ、本当の罪を償ったと感じとれないんです。

ぼくは、自分の迷惑をかけてしまった分をどうにか社会に返したいとおもってこうして毎日PCで文章をかいてます。

 

この本を読んで元少年Aに対して怒りをあらわにすることも、否定することも、賛美することも容易です。

ただ、賛美や否定ではなく、理解しようと努める態度が重要におもいます。

 

そして、この本を読んで「人を殺害することがどんなことなのか」を多くの人は知った方がいいし、このような鮮烈な事件が起きないように社会に役立てる方向に舵を切ることだとおもいます。

 

彼が行ったことは本当に本当に大変なことです。

ただ、彼が生きることを社会は承認したのです。

そして、彼はもう普通の人のようにおそらく生きられません。

あれだけの世間を震撼させることを犯してしまって、それを包み隠し、人とも一切触れずに生きることに生きる意味も見出せないでしょう。

 彼は何かクリエイターとして生きる術を持った方がよろしいとおもいます。

 

彼を苦しませるのは容易です。

ただ、彼が影で独りで苦しんで生き続けるよりも、彼の体験を今後の社会に役立てるように何かの活動をさせることが被害者の気持ちも本当の意味で癒やすのではないでしょうか。

 

ぼくはこの本を読んで、そのように感じました。

実際の元少年Aがどのような気持ちでこの本の出版に至ったかは、ぼくもわかりません。

 

今回の本で大きな金額の印税が彼に支払われるとおもいます。

その使い道で彼の真意はハッキリするのではないかとおもいます。

彼の母親が以前出版した本の印税7000万円は全て遺族に支払われたそうです。

 

この本に関しては、みなさんの立場で読んだ方がよろしいとおもいます。

被害者遺族の気持ちを察すれば、同情の気持ちしか出てきません。

ぼくは元自殺志願者の立場から読みました。

 

あなたはあなたの立場で読んで頂きたいです。

この本は、インターネットではなく書店で手にとって読むことを強くお勧めします。